綾部の料亭 ゆう月。各種宴会「新年会・忘年会・同窓会・披露宴・法事」などに御利用ください。
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綾部 ゆう月の周辺案内 観光施設 大河ドラマ麒麟が来る主役の明智光秀築城 福知山城

知将 明智光秀築城の名城

福知山盆地を見渡す天守閣

明智光秀が平定した丹波国の拠点「福知山城」

 

近年、北近畿京都府北部の主要都市として発展を続ける京都府福知山市、

天橋立のある宮津市、港町舞鶴市、我がゆう月のある綾部市、さらに京丹波町、兵庫県の丹波市と朝来市に囲まれ、山の谷間の盆地に築かれた街です。

 

そんな街の中、小高い丘の上にそびえる天守閣を望むことができます。

福知山城です。

江戸時代には福知山藩の居城となっていましたが、その築城主は2020NHK大河ドラマ「麒麟が来る」の主役明智光秀です。主君織田信長の命により行った丹波攻め、その平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として西暦1579年(天正7年)に築いたのが福知山城とされています。

 

本能寺の変で主君織田信長を自害させた明智光秀ですが、そのすぐ後、中国攻めから引き返してきた羽柴秀吉により山崎の戦いで敗れ逃走中に殺害された。ということは歴史の授業などでも学び皆さんよくご存知のことと思います。(実は明智光秀はその後も生きていて・・・なんて都市伝説もありますが)

 

福知山城は明智光秀亡き後、城主が変わりながら整備が行われ西暦1600年(慶長5年)頃に完成したとされています。

残念ながら明治維新後の廃城令により本丸などの大半が取り壊され石垣と銅門(あかがねもん)番所だけが残されていました。

現在の天守閣は明治に取り壊されてから100年経った昭和の時代に再建のための市民運動などもあり西暦1986年(昭和61年)に完成し現在も福知山のシンボルとしてその悠然たる姿を見ることができます。

 

天守閣は再建されたものですがその土台として支える石垣は築城当初のまま残っており、明智光秀築城から400年以上崩れることなく現在に至ります。

その石垣の積み方は野面積みと呼ばれ自然石をそのまま使用し、表面上は雑に見える積み方ですが奥に深く用いられ強固な石垣として積み上げられています。

 

 

 

地元民に慕われたお殿様 明智光秀

 

謀反者、裏切り者、三日天下、明智光秀を表す言葉として有名なものにはあまり響の良くない言葉が知られていますが、

福知山では、光秀は宅地税を免除し楽市楽座の設置、氾濫を繰り返す由良川の治水などを敢行し、西国へ商業、交通、軍事の重要地点として福知山を発展させたことで住民から慕われていました。

そのことを表す歌と踊りが福知山音頭として今に伝わり、毎年の夏祭りや小学校の運動会などでも踊られたりしています。

 

 

 

福知山城を望む「ゆらのガーデン」

 

福知山城天守閣の下には福知山城公園が整備され、お堀のように流れる川を渡す太鼓橋が作られています。

大きくゆったりとした橋は「昇龍橋」と言い、お城の方へ渡ると見上げる天守閣、樹々の緑、青い空が合間ってお城へ登るワクワク感が高まってきます。

その公園に隣接しているのが商業施設「ゆらのガーデン」です。

綺麗に整った芝生や木々を有する庭を囲むように独立したカフェや和食店、セレクトショップ、フォトスタジオが点在する心地いい空間で、福知山城を訪れた際にはぜひ足を運びたいスポットです。

綾部むすびと明智光秀ゆかりのお城を回る半日プラン

遠方より電車で綾部・福知山への観光をご予定の方に昼前から夕方までの半日をゆったりと過ごしていただけるプランです


 

 

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